本能寺の変で織田信長の死に、身の危険が迫った徳川家康を、堺からの脱出に協力したのが摂津国佃の漁師たち。
家康はその時の恩義から、彼らを江戸に迎入れて小島を与える。佃の漁民が移住したのが佃島の由来。渡船場跡は石碑に残る。
農民は田畑に縛られ動くことは少ないが、漁師は海が相手で行動範囲は広い。漁猟技術に長けた彼らを繋ぎ止め、急速に発展する江戸の食糧確保する思惑もあった。
後に埋め立てられた月島から、歴史ある佃島に一歩入ると空気感が変わる。実際に歩いてみると実感できるだろう。
佃島の北側。石川島にあった造船所の跡地には高層マンションが建ち並ぶ。このコントラストは東京からではの風景。赤い橋は島と島の架け橋で今では遺構だ。
佃煮の原産地は、その名のとおり佃煮島。ここには元祖と本家が並んでいる。どちらも歴史の風情を感じる店構えである。
なんとなく元祖つくだにの天安の方に惹かれてお土産を買った。種類は多くて迷うがここはあみ佃煮だろう。
何気ない場所に見られるこの三角形こそ街づくりの痕跡である。こんな発見の連続が街歩きの楽しさ。
東京を探訪するとまだまだ面白い場所がある。徐々に綴っていきたい。